June 22, 2019
運転免許
2月の初め頃、私は自動車学校に通い始めました。
後期試験が終わって将来のことを考えてみたときに、私は履歴書の資格欄に書くものが何もないことに改めて危機感を感じたからです。
かといって、英語のテストで高得点をとったり、何かの検定に合格したりするほどの努力をする自信はありません。
一方自動車免許なら、お金と時間さえかければ誰でもとれるはずです。
ずっと避けてきた自動車運転免許ですが、ついに取得しようと決めました。
決意が揺らがないうちに、すぐに自動車学校に入校する手続きをしたのです。
しかし、通い始めて2日目には後悔し始めます。私は壊滅的に運転が下手でした。
まだただの楕円のようなコースを走っている段階で補習になり、右左折に挑戦することすら許されず、ひたすらただのカーブと直線の練習です。
その頃は、そこらへんを走る車の運転手全てに尊敬の念を抱きました。
それから指導員の方々の熱心なご指導のおかげで、運転技術面はかなりましになったかと思われます。
仮免許取得から卒業検定合格までは、初期からは考えられないほどスムーズにいきました。
問題児レベルだったであろう私に丁寧にご指導していただいた指導員の方々には、感謝の気持ちでいっぱいです。
けれども、いくら卒業検定に合格できる程度の運転技術を身につけたところで、気持ちに変化はありません。
私はとにかく運転したくないのです。
そもそも、これまでどんなに地元の友人たちが免許をとろうと家族に言われようと免許の取得を避けてきたのは、運転したくなかったからです。
運転をすると、いつ自分が加害者になるかわかりません。
もちろん普段乗っている自転車でも同じことですが、歩いているときと変わらない視界が得られ、そこまでのスピードはでない自転車と違って、自動車は死角も多いうえに格段にスピードがあがります。
ちょっとした気のゆるみや見落としで、誰かとその家族の未来を奪ってしまうかもしれないと思うと、怖くて運転どころではないのです。
最初は怖かった自転車も今では平然と乗れるようになっているので、もしかしたら自動車も慣れたら大丈夫なのかもしれません。
しかし、慣れるには練習が必要です。
練習をするなら路上にでて運転しなければなりませんが、こちらが練習をしていることなんか外にいる人々にはわからないし、関係ありません。
自分の練習のために外を歩く人々を危険にさらしたり、周囲の運転手に迷惑をかけたりするのは耐えられません。
もちろん、運転免許を資格として履歴書に書く以上は使える資格でないと意味がないこともわかってはいるのですが、どうしても恐怖と罪悪感が上回ります。
ということで、私は免許をとっても運転したくないのでよろしくお願いします。
余程のことが起きない限りはペーパードライバーを貫く所存でございます。
ペンネーム:紙
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