#23-09 漆喰
もう周囲はサンダルを履いてないと感じた頃、薄着で歩きがちな海外観光客ですら足を覆い隠し始めた頃、男は時計の2本の針が真上を向く今時分、丸太町通りを歩いていた。そして男はさして身長の変わらない女性と京都御所を挟むようにして歩いていた。女性は右隣を歩く男に一言、「本題」と声をかけた。黙ってうなずく男を横目に、完璧な身だしなみに見合った一切動揺を見せない素振りで、しかし予期していなかった暗黙の了解を察したように女性は首を縦に振った。
この日はサークルの面々が久しぶりに集まり、カラオケで近況を語り合ったのだった。
そして男とその女性のみ終電がなく、眠気眼の面々を地下鉄の入口の階段で手を振って見送ったのだった。
「本題」というこの言葉がその女性の不安げな顔と相まって、不穏な空気を醸し出した。少し冷えるタクシーしか通っていない丸太町通りはとても神経質に見えた。カラオケに入ってから彼女の「本題」が始まった。もう4回生のその女性はサークルの中ではご隠居様のような存在である。そんな彼女が少し前にサークルの中で破局し、どうも別れ方が良くなかったらしくサークル内で孤立していることを男に打ち明けていた。二人は数か月ぶりの邂逅であり、その事情を知らなかったのは今日の集まりの中で男だけだった。女性は今日の集まりもあまり言葉を発しておらず、男はようやくさっきの歪な雰囲気を理解することができた。当たり障りのない、有名な曲を歌いながら時々会話を挟む。
「過去のことは忘れるべきですよ、新しい人と付き合って、サークルもどうせ半年後には辞めてるでしょう?そしたらサークル内の人間関係なんて気にしなくていいじゃないですか。」
「そやんな、その後押しの言葉が欲しかってん」「で、今気になっている人はどういう人なんですか。」
別段表情を変えることなく、男は尋ねていた。
「インターンで知り合って、グループディスカッションで…しかも地元が一緒で………」
「結構共通点が多いんですね」
「私『この人が好き!』ってなるよりこの条件、って感じで選びがちやねん。」
「地元一緒で、京都の大学通ってて、関東就職、ってのが条件なんですか。」
「そう、ルート一緒やと話しやすいし、これからのこと考えたら遠距離しんどいと思うから。」
「なるほど」
「あとは身長とか感情が豊かな人がいいとかかな、そういうのが当てはまる人がいいねん」
「じゃあ一目ぼれみたいなのは無いんですか。」
少し眉を動かしながら男は尋ねた。
「うん、ない。昔はあったかもやけど、現実的になっちゃった。条件が当てはまる人から探す!」
男の口は少し開くばかりで、そこから声が出ることは無かった。有名どころをある程度歌ったところで、男は好きな曲を歌ってくださいと言わんばかりにデンモクを女性に渡した。
その意図を察知したのか、呼応するように「何が歌える?」
一瞬の沈黙もカラオケにいれば誰かの歌声で吹き飛ばされた。
返答に悩んだ男は咄嗟に返した。
「何が歌えますか。」「女性歌手とかで有名なやつはそれなりに」
女性は音楽配信アプリのプレイリストを男の眼前に差し出した。
男は唖然とした。
「好きな歌手とかいないんですか?」ふと口か体の奥底から湧き上がってきた質問をしていた。
「おらんの。ハマれないタイプやねん。」
そのプレイリストはカラオケ人気曲ランキングのそれぞれのジャンル上位を総ざらいしたような選び方をされていたのだった。「じゃあライブとか行かないんですか?好きなドラマの曲とかもハマらないんですか?」
今までにあったことのない人種を前にして男は質問を投げ続けていた。
「どっちもない」
八重歯を見せながら、しかし切り捨てるように呟いた。突如男の目の先にいるその女性の、丹念に為されたメイクによって純白に近くなった肌が漆喰の城壁のように見えた。現実的になったという彼女は目の前の男にとっては心に防壁を作り、閉ざしてしまった無機質的な何かに見えた。
パズルのように他人というピースに自分を当てはめ、逆に自分というピースに当てはまる「ピース」を探している姿に男は戦慄しながら、まるでアルゴリズムに精製されたようなプレイリストをスクロールしていた———。少し冷える11月の夜、何も話さないままでただ京都御所を歩く男女二人の後ろで私はいつ抜き去ろうか思案しながらさして身長差のない二人の関係性を想像していたのだった。
深葉東風
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