オヤジギャグ
笑いのツボは人それぞれだが、それらには共通してフリとオチ、緊張と緩和の法則があると言われている。漫才やコントのようなネタではオチに繋がるフリがあらかじめ用意されており、平場と呼ばれるフリートークではそこにいる人々のそこまでの発言やキャラクター、場の空気などがフリとなりその裏切りによって笑いが生まれる。
一方笑えないものの代表例にオヤジギャグがある。なぜオヤジギャグは笑えないのだろうか。はたまた、なぜ人は歳をとるとオヤジギャグを言いたくなるのだろうか。私は次のように思う。若者にとってオヤジギャグは単なる言葉遊びに過ぎずラップバトルの下位互換になってしまうのだが、オヤジたちにとっては一つひとつの言葉に自分の人生を含めた背景が詰まっており、それらがフリとなっている。つまり、オヤジギャグが笑えないのは彼らがフリの共有を不精しているせいともとれるが、一方で受け手の無知、無学が原因とも取れる。私はかろうじてまだオヤジギャグはつまらないと思える領域にいるが、この4年間で確実にオヤジになっている。
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