#25-03 非日常に焦がれる
- Kyoto University Speed Skating Team
- 2月16日
- 読了時間: 3分
一人暮らしに恋焦がれたのは、高3の夏だった。ある料理系youtuberの存在が起点だった。まるでエッセイか小説でも読んでいるかのように淡々と語りながら、たくさんの家電や調味料に囲まれて、カスタマイズされたキッチンで調理をしている。決して豪華なものを喧伝するのではなく、家庭料理というか、体に良く、保存にも向く料理を紹介してくれる一人暮らしの味方のようなチャンネルだった。時々実家のキッチンでお菓子を作っていた私はふと、自炊というものに強烈な憧れを感じるようになった。まして、京都という文化の都に住んでみたかった。そんな夢が叶うのなら浪人だって何ら苦にも感じなかった。
雪化粧をした下鴨神社を見に行ったのは、大学1回生の冬だった。多少住み慣れた家の近くをわざわざ貴重な時間を割いて見に行こうと思えたのは、今日しか見れない何かがそこにあったからである。家から自転車で10分の距離に下鴨神社がある。本来、そこにはいつだって行くことができる。名所、という意味では、紅葉がきれいなスポットは京都に数多あるが、それは毎年見れるし、秋のある日ならいつだってその景色も見ることができる。雪の寒さに負けず、ちょっと見てみたいと好奇心に連れられて雪の京都を味わった。
人は適応ができる生き物である。そのために工夫をするし、環境を再構築する。だからこそ人によっては、一度適応した環境に安住を求めたがるし、その先の適応力を失っていく。私も京都に住んで3年。家の近くに世界遺産がたくさんあること、紅葉の名所があること、蛍の住処があること、日本の最高学府があることに慣れすぎてしまった。京都も見渡せば外国の観光客ばかりで、地元の人はおろか日本人も割合少ないように見受けられる。かねてから住み着いている京都の人々も文化財と共存する日常に安住している。
普段料理をするのも、片手間に何かしながらー映画を見たり、アニメを見たり、ラジオを聞いたりーであり、自分の「家庭料理」と呼べるものも定まってきた。京都に住んでいてもまだまだ行ったことの無い名所は多いし、家の近くに知らない料亭があるかもしれない。非日常を味わえるはずの年中行事やお祭りの度にも足を運ぶのが億劫になった。
あれほどまでに非日常に焦がれていた私は今、安住を求めてルーティンに従うように時間を溶かし続けてきた。ともすれば小さな変化に気づくことのできる感受性を失っているのではないか。そう考えていた矢先、雪が積もった。京都市内が雪を被るのは隔年単位の数日間しかない。「今しかない」と思った。数世紀にわたって「侘び・寂び」を世界に説く銀閣は美しかった。けれどもそれ以上に朝目覚めた時、屋根に雪が乗っているのを目にした途端に雪化粧の銀閣を一目見に行こうと決断できたことが嬉しかった。そして実際に目にした刹那、その決断をまっすぐ受け止めて行動に起こしてきたかつての自分を思い出すことができた。まだ、非日常に焦がれる心が残っていた。ちょっと社会に安住し始めて、日々の安寧にふんぞり返っていた私の心に諸行無常の響きを鳴らしてくれた、そんな一日になった。
深場東風
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