#25-51 一人称の変遷②
- Kyoto University Speed Skating Team
- 9月22日
- 読了時間: 2分
前回のあらすじ。
あだ名を借りパクされたり、諸々あった結果、小学校の6年間の一人称は「僕」→「ペン」→「コバ?」→「。。。」→「おいら(一日)」→「。。。」という変遷をたどりました。小学校5.6年の間、困った時は「僕」か「おれ」を他の人に合わせて使ってたと思います。
今日は中学になってからの話。
7年生(中1)の初日に呼ばれ方が一変します。初対面の担任が、びっくりしながら興味ありげな表情で、私のフルネームを読んできました。そのまま、私がそれに反応する間もなく、話は続きました。その担任は、見た目によらずバスケ部の顧問で(偏見)、その前の年に卒業していったバスケ部の9年生(中3)に、本名が「私のフルネーム+と」、あだ名が「私のフルネーム」だった人がいたことが分かりました。分かりにくい言い方してすみません。急にフルネームを連呼されたので、「なんなんだ?」とは思いましたが、なんか楽しそうだったので、受け入れました。
その日以降、担任は相当それが気に入ったようで、フルネームを連呼して、色んな時にあててくるものだから、流れそのまま「あだ名=フルネーム」という普通ならよくわからんことになりました。そして誕生したのが、
先生(友達):「(フルネーム)、これどう思う?」
→私:「(苗字)的には、〇〇と思います」
という構文です。直感的に、この構文が自分にはピタッとハマりました。それ以降、普通の話になっても、苗字を一人称に使うようになりました。それは高校になっても変わりませんでした。
今思うことは、一人称に苗字を使うと、自分の意見とか気持ちとかを言いやすくなったなということです。自分の思ってることを、そのまま言うだけでは、中々うまくいきません。そんなことありませんか?そんな時は、「(一人称)的には」と発言の頭に足してみるとうまくいくかもしれません。苗字を一人称に使うと、客観的に確かめながら、自分の思ってることを伝えることができている気がします。
マカロニえんとつ
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